2010/02/23

アントファガスタのシンボル、ラ・ポルターダ(La Portsda)

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 ラパスから国境を越え、チリのアントファガスタへやってくる。いきなり海抜近くなると酸素の濃さを実感できる。

チリは14年ぶりだが、ボリビアと比べるとかなり快適度は高い。


ミクロバスに乗って、ラ・ポルターダと呼ばれる奇岩を訪ねる。129番のバスに揺られ、途中乗り換えて約一時間あまりでラ・ポルターダに到着する。断崖の丘には、レストランやショップがありかなりの観光地のようだ。



展望台では、何やら人々が集まっていた。断崖のテラスに近付くと、インディヘナの民族衣装を着た人達がフォルクローレの演奏をしていた。

笛と太鼓の音が心地よく響く。何かのイベントなのか、観光客はその演奏に合わせて踊っていた。演奏が終わり、記念写真を撮らせてもらう。

このアントファガスタは、かつてボリビア領だったので、インディヘナの人々も多いのだろう。

断崖絶壁の眼下に荒れた海が広がり、その奥にラ・ポルターダが見えた。



岩には丸い穴が空いていて、まるで和歌山の円月島のようだ。残念ながら、断崖の浸食のため、下に降りる道は閉鎖されていた。

アントファガスタの町から北に16kmにあるラ・ポルターダは、すべてのミクロバスに画が描かれていた。

ラ・ポルターダは、まさにアントファガスタのシンボルである。

しばらく、標高4000m近い高地にいたためか、海風を浴びながらラ・ポルターダを眺めていると、心身ともにリフレッシュすることができた。


         チリ、サンチャゴにて

          223日、48度目の生誕に  郡司 拝


今後の予定:本日サンチャゴからアルゼンチンのメンドゥーサへバスで移動します。

ラパス、月の谷(Valle de la Luna)

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コパカバーナからバスで3時間、14年ぶりにボリビアの首都ラパスにやってくる。巨大なすり鉢状の淵で、バスは一時停車して撮影タイムのサービスをしてくれる。

世界最高所の事実上の首都ラパスは標高3650mの都市だ。

ラパス市のすぐ南側には奇岩で知られる月の谷Valle de la Luna)と呼ばれる場所があり、さっそく出かける。

学生広場からミクロバスに乗ること約50分で、月の谷の入口に到着。入場料15ボリビアーノを支払い、一旦地下を潜ってから地上に出ると、そこは赤茶けた尖った断崖の風景が広がっていた。



月の谷は、まるで月面のように見えることからその名が付いているという。

天然の断崖の中を縫うように遊歩道は付けられていて、起伏に富んだ道を歩くと様々な奇岩が姿を見せる。






一周するのに約1時間かかったが、なかなか面白い場所であった。

ここは、2000年頃まではゴミ捨て場に隣接したただの荒れ地であったが、近年遊歩道などが整備されラパス市民が家族連れで休日を過ごす場所として人気があるという。

帰りがけ、入り口付近に加工して作った人面岩を見つける。

 何とも味わいのある顔であった。


            チリ、サンチャゴにて

                          郡司 拝

2010/02/19

ティティカカ湖に浮かぶ、太陽の島・月の島

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 クスコから夜行バスでプーノへ、そこからボリビアへ入国してコパカバーナへ到着する。

コパカバーナは、ティティカカ湖畔の街で、スペイン人がやってくる前からインカ帝国の宗教的な都市であった。

ティティカカ湖畔に浮かぶ太陽の島と月の島は、コパカバーナから観光船で渡ることができる。

太陽の島は、島の内部にティワナク期(西暦400年ころから1200年頃)やインカ時代(15世紀から1532年頃)の遺跡が残っていて、インカ帝国発祥の地ともいわれていた。

伝説によれば、太陽の神は地上の人々に文化を伝えるため二人の人間を遣わした。それが、初代インカ皇帝マンコ・カバックとその妹ママ・オクリョである。二人は太陽の島に降り立ち、そこから旅を始めたという。

ティティカカ湖は、古代から神秘の湖、聖なる湖と崇められていた。ティティカカとはケチュア語の「ティティ」は、インカの神聖な動物ピューマを意味し、「カカ」は石を意味し、ピューマの石を意味する。また、プレ・インカ時代には「パカ・リナ」と呼ばれ「すべてが生れた場所」、「母なるパチャママの湖」として今でも信仰され心の拠りどころとされている。

コパカバーナの町に到着し宿を探そうと思ったが、太陽の島への最終便が出ることを知り我々は急いで客船に飛び乗った。小さな客船には、溢れんばかりの観光客が乗っていて私は船の屋上デッキに座った。心地よい風を浴びながら船は、太陽の島に近付いて行く。

約1時間半の快適な船旅で、太陽の島へ到着する。島に上陸すると入島税5ボリビアーノを徴収される。港から真直ぐに石段が伸びていて、45度くらいもの急勾配はあるだろうか。気合を入れてリュックを背負って上り始める。途中、何度も休憩しながら上るのだが、呼吸が苦しくとにかくきつい。それもそのはず、ティティカカ湖の標高は3890mで富士山より高い湖に浮かぶ島なのだ。妻は、ポーターの少年にカバンを持ってもらい20分くらいかけて100mほど上がった眺めの良いホテルにたどり着いた。


16日早朝、私はインカゆかりの遺跡が集まる島の北部へ歩いて行く事にした。北部への道は高台の尾根づたいにあり、段々畑が美しい。

30分ほど歩くと小さな小屋があり検問所のような処に男性の係官が座っていた。ここから北部地域に入るのに10ボリビアーノの税金がいるらしく、小銭が無かったので2ドルを払ってお釣をもらう。

その後、しばらく坂道を上ってゆくとある峠に近付く。


峠の山上の周りには、どこか賽の河原を思わせるような小石を積んだ石積みが点在していて、山上にはモニュメントのような石組があった。

尾根を歩き続ける。

3時間あまりで北部のインカの遺跡に到着する。

セレモニーを行う石のテーブルの周りに並べられた石の椅子。

その対面には、聖なる岩があった。

さらに進むと、海辺の坂道にインカの遺跡が現れた。

石積みの門を潜ると、いくつもの石室が迷路のようにつながっていた。

遺跡から北部の村に行く途中、畑の中にぽつんと置かれた人型の石があった。

高さ1m60cmあまりの石は、聖なる石と呼ばれ、インカの遺跡の方向を見つめるように佇んでいた。

北部の村の入口にさしかかると湧き水が流れていて思わず口に含む。すると、甘露といった美味しさがあった。

その後、船で南の町に移動している時、巨大な龍のような頭をした雲が、右端に見える月の島を飲み込むような姿に見えた。

1時間あまりで南の町へ船は到着し、ホテルに戻ってからしばらく休む。

夕方、妻と一緒に月の島へ向かうことにする。月の島へは定期便は無く、船をチャーターしなくてはならない。値段の交渉をして船に乗るも、エンジンがかからない。結局、エンジントラブルで40分以上待たされたあげく、別な船をチャーターすることに。月の島へ向けて出発したのは午後5時近くになっていた。我々は小船の先頭に座って、ティティカカ湖を正面に眺めながらの贅沢な船旅になった。やがて月の島に近付く。


45分ほどで月の島の北側の遺跡近くに港に船は入港する。

さっそく上陸して、遺跡に向かう。遺跡は、インカゆかりの神殿跡だ。

我々が遺跡に近付くと、どこからか係員がやってきて入島税一人10ボリビアーノを徴収し、切符を渡す。

遺跡は、かなり傷んではいたが東側の神殿部分は、良い状態で残っていた。

神殿跡の前に、小石を円く並べ中で火をおこした跡がある場所を見つけた。

この跡を見て、ここは今でも儀式が行われているように思えた。


 聖なる湖、ティティカカ湖に浮かぶ二つの島、太陽と月の島。かつて、スペイン人による征服時の記録によると、太陽の島は、インカの宗教的な巡礼地として有名だったことが記されていたという。

言霊的にみれば、「ティティカカ湖」は、父(チチ)と母(カカ)が一体になった、陰陽和合の聖なる湖ではないだろうか。

      

             ボリビア、ラパスにて

                       郡司 拝

クスコ周辺に残るインカ時代の石の記憶

2月13日

標高約
3399mにあるクスコは、かつてインカ帝国の首都であった。クスコとは、ケチュア語で「へそ」を意味し、太陽神を崇拝するインカ帝国の人々にとって世界の中心でもあった。

16世紀、クスコはスペイン人の侵略でインカは山に追われた。その後スペイン人は、インカの建造物を破壊して、その石材で教会やコロニアル建築などを造った。しかし、その土台のインカの石組みのいくつかは残っていてみる事ができる。特にインカ時代の石組は様々な形をしている。

中でもよく知られているのが12角の石だ。



14年ぶりに訪ねると観光客も多く、石の前にインカ時代のコスプレをして写真を一緒の撮る、商売人の姿もあった。その後、14角の石を見てからクスコ近郊のサクサイワマン遺跡とケンコー遺跡を巡る。


 初めに、クスコ北西にある要塞跡サクサイワマンを訪ねる。夕方近くに中に入ると、雨がぽつぽつと降り始めた。

サクサイワマンは、巨石を3層に積み上げて造られ、22回のジグザグを描きながら360mもの長さに渡って続いている。




大きな巨石は高さ5m、重さ360トンもあり、インカの見事な石組みに驚かされる。2層目の門の近くの巨石には、蛇を象った溝が彫られていた。

石組みを上ってゆくと小さな広場に出て、そこからクスコの町を一望できる。

インカ時代の首都クスコは、町全体がピューマの形に造られていて、その頭の部分にあたるのがサクサイワマンだという。そのため、ここが重要な役割を持った場所とされている。毎年6月下旬、この広場で「太陽の祭り、インティ・ライミ」というインカの祭りが復活されるという。

次に、サクサイワマンから歩いて15分ほどの場所にあるケンコー遺跡へ行く。ケンコーとは、ケチュア語で「ジグザグ」を意味し、かつてインカ時代の祭礼場であった。ケンコー遺跡に入ると、高さ6mほどのメンヒルのような巨石が目の前に現れる。

この巨石は、ピューマを浮き彫りにしているといわれる。その後、背後の岩に行くと、大人一人やっと通れる半円状の切り通しを潜ると、広場に出る。方位を現す石から半洞窟を進むと、人工的に造られた玉座や、生贄の台座などがある。



そこを、大勢の観光客がストロボをたきながら写真を撮っていることに抵抗を感じた。

岩の雰囲気などを見ると、沖縄の斎場御嶽を彷彿させるものがあった。ケンコー遺跡は、宗教的に重要な役割を持った洞窟の聖地といった印象を持った。

最後に、ケンコーから3kmほど離れた、タンボ・マチャイへ行く。ここは、インカ時代は、高貴な身分の人達の沐浴場であった。聖なる泉と呼ばれ、雨季、乾季を通じて同じ水量が湧き出ているという。

この水源は、いまだに分からないという。

 石組、巨石、洞窟の聖地、聖なる泉など、クスコには実に様々な巨石群が残っている。

16世紀のスペインによる侵略は、多くの神殿や宮殿などの施設の破壊、金の略奪でインカ帝国は滅ぼされた。しかし、このクスコにはインカの記憶が、巨石を通してしっかり根付いているように思えた。

 インカの石の記憶は、計り知れない。

                 ボリビア、ラパスにて

                             郡司 拝