2010/04/27

須田郡司 世界石巡礼終了報告会

須田郡司 世界石巡礼終了報告会のご案内
  
日時:2010年5月22日(土曜日)
開場:18時30分 開演:18時45分(20時30分終了予定)

会場:緑が丘文化会館・図書館 本館 第1研修室 
   東京都目黒区緑が丘二丁目14番23号
   会場の問合せ 03-3723-8741
交通:東急東横線・大井町線「自由が丘」駅徒歩約7分
  (LABIヤマダ電機自由が丘店の角を曲がってすぐです)
会場地図はこちら

参加費 1000円(税込)

定員58名(要予約/会場の都合上、早めの予約をお願い致します)

※ お申し付け予約は、お名前、連絡先、人数を明記の上、下記アドレスまで。
voice_of_stone◎sudagunji.com  ◎を@に変えてご送信下さい。

第1部 須田郡司 世界石巡礼終了報告会
第2部 須田郡司・森内淳(STUDIO M.O.G.代表)対談

 この度、約一年間に渡る世界石巡礼の活動が無事に終了する運びとなりました。
これまで世界42カ国、110か所以上の石・巨石たちを巡ることができました。
この活動を支えて下さった多くの方々に心より感謝を申上げます。
そこで、5月22日(土)晩、目黒区の緑ヶ丘文化会館におきまして世界石巡礼終了報告会を開きます。これまでの旅の軌跡、今後の活動などを踏まえてお話をさせていただきます。また、第2部ではこの一年間、旅のプロセスをインビューを通してHPで紹介してくれたSTUDIO M.O.G.代表の森内氏との対談を行います。

 皆様のご参加を心よりお待ち申上げます。
                        須田郡司 拝


※ 世界石巡礼終了報告会の終了後、近くで簡単な二次会を開く予定です。こちらにも参加される方は、「二次会に参加」とご明記下さい。

世界石巡礼最終地、ニュージーランドのオアマル ロックアート、エレファント・ロックス、石球

世界石巡礼の最終地は、ニュージーランドの南の島である。
 4月22日、シドニーからニュージーランドのクライストチャーチへ飛び、日本人宿に泊まる。ここは日本人経営のホステルで、多くのワーキングホリデーで滞在している日本の若者がいた。ある若者は、「ニュージーランドはトレッキングをすると美しい風景を見ることができて最高ですよ」、と言っていた。
翌日、インターシティのバスで3時間半ほどかけてクライストチャーチの南にあるオアマルへ向かった。オアマルは、良質の石灰岩が産出される場所で、その石はオアマルストーンと呼ばれ、ニュージーランドのあちこちの教会に使われていた。予約したホステルは、築150年の古い建物であった。

 4月24日、いよいよ最後の石巡礼である。
 その日は、コースト・ライン・ツアーズに予約をしていて、マオリ・ロックアート、エレファント・ロックス、そしてモエラキ・ボルダーの石球などを巡る事にしていた。

 お昼過ぎ、ドライバー兼ガイドのバースがやってきて出発。バースは、とても親切でよく笑う人だった。最初に、オアマル近郊にある古い教会を案内する。この教会は、もちろんオアマルストーンが使われていた。

 オアマルから83号線を北西へ約40kmほど走ったところに、Maerewhenuaマエレフェヌア遺跡とTakiroaタキロア遺跡がある。これらの遺跡はニュージーランドのロックアート遺跡のなかでも最も有名な遺跡であり、年間2万人を超す見学者が来るという。
初めにマエレフェヌア遺跡を見学する。道路からやや崖の道を上ってゆくと横長な洞窟が見える。


フェンスの中を覗くと。いくつかの壁画がある。

 この壁画は新石器時代の頃から描かれてきたものといわれる。
そこから車で5分ほど離れた場所にあるのがタキロア遺跡だ。こちらは、巨大な崖の下の窪地にいくつもの壁画があった。

マエレフェヌア遺跡と比べると、かなり鮮明に描かれていた。

タキロア遺跡の考古学的埋蔵物の中には、ニュージーランドにヨーロッパ人が渡ってくるはるか以前に絶滅した、飛べない巨鳥モアや固有種のウズラといった、鳥類の骨などもあったという。
 二つの遺跡は、それぞれにフェンスが張られていた。その理由は、勝手に壁画を剥がして持ってゆく人がいるためだ。これらのフェンスは、15年ほど前からフェンスは作られたという。ロックアートは現在確認されているもので大小数百箇所ある。しかし、その多くは私有地の中にあるため自由に見学することはできず、実際に見学できる場所は南島でタキロア遺跡、マエレフェヌア遺跡を入れて4ヶ所しかない。

 次にElephant Rocksエレファント・ロックスと呼ばれる巨石が点在する場所を訪ねる。ここは、映画「ナルニア国物語」のロケ地に使われた景勝地だ。牧場の中に、突然、奇岩怪石が姿を現す。

芝生の上に、巨大な石を配置したような不思議な風景で巨大な石の庭園といった感じである。



 これらの巨石は、今から2400~2600万年前に75~100mの海底のライムサンドが凝固して形成されたライムストーンでできている。このエレァント・ロックスは、一つの岩が象に似ているのではなくて、この巨石群全体がエレァント・ロックスと呼ばれているのだという。エレファント・ロックスは、緩やかな丘にユニークな巨石がいくつも点在していて、思わず石の上に上りたくなる雰囲気があった。

 ガイドのバースによれば、このエレファント・ロックスには世界中から素手で岩に上る人々がやってくるそうだ。それにしても、何とも心地良く、心を穏やかにしてくれる場所であった。

 最後に向かったのが、オアマルの南約38kmにあるモエラキと呼ばれる海岸地帯にあるMoeraki Borldersモエラキ・ボルダーだ。

ここには、まるで巨大な卵のような直径1m以上、重さ2トンほどの球形の巨石がゴロゴロと転がっていた。海岸にこのような丸石群があるとは実に面白い。


 マオリの伝説に寄ると「沖に沈んだカヌーから流れ着いた食料のカゴ」と語られているとか。これらの石球は、海底に沈殿する化石や骨のかけらなどが海中の鉱物の結晶が均等に付着して凝固したもので、約6000万年もの時間を経て現在の大きさにまで生成されたもの。かつて海底であったこの場所が隆起して海岸に姿を現したという。その周りを見ると、海岸の崖土の中から出てきた石もあった。


この石球群を見て、私はふとコスタリカのバナナ農園でみかけた石球を思い出した。土に半分以上埋もれた石球は、これから生まれようとしているようにも見える。

しばらく、石球の回りを巡りながら、ようやく世界石巡礼の旅が終ろうとしていることを実感していた。

 想えばこの一年、流れる眼差しで世界42カ国の巨石を駆け巡ることができた。世界には、古くから人間とのつながりを感じさせる石の世界が広がっていた。

小雨が降り始めたモエラキ海岸の石球を見ながら、ふと世界の状況を思い起こしていた。
この一年間の巡礼中、多くの場所で自然災害が発生していた。それは、人々が自然への畏怖心を失いかけているからなのかもしれないと。
 「世の中が、丸く収まりますように」と石球を前に祈りつづけた。

世界石巡礼は、今回の旅で終了しました。

これまで、世界石巡礼を支えて下さった友人、知人、恩師、そして親族の方々にあらためて深く御礼を申し上げます。
そして、この巡礼中、東京事務局としてサポートをしてくれたスタジオM.O.G.に深謝いたします。
ありがとうございました。

今後、この世界石巡礼の経験を生かして石の世界を広く伝えて行く所存です。

 最後に、この一年間の旅を同行し、様々な助言と叱咤激励をしつづけてくれた妻ひとみに感謝しつつ・・・。

        ニュージーランド、クライストチャーチにて

                          郡司 拝

2010/04/25

ブルーマウンテン、スリーシスターズ(The Three Sisters)とアボリジニの記憶

 アリス・スプリングスから3時間あまりのフライトでシドニーへ飛ぶ。窓から見えるオーストラリア最大の都市シドニーの街は、実に緑が豊かで美しい町並みが広がっていた。空港から予約をしていたホステルまでピックアップしてもらいチェックインする。そのホステルには、ワーキングホイデーで滞在している日本、韓国、アジア系の若者が多かった。

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 シドニーでブルーマウンテンの一日ツアーに参加する。

8時過ぎにミニバスに乗ると、ヨーロッパ、北欧、アジア、南米など多様な国々から20数名の人々と一緒だった。簡単な自己紹介をしてツアーは始まった。ブルーマウンテンは、シドニーから100kmほど離れていた。

バスは一時間ほどで、ブルーマウンテン近くの森にやってきた。ガイド兼ドライバーのソロモンは森の中を案内する。植物や動物の事をいろいろ説明し、最後に木が三本立っている場所にやってきた。

ここは、アボジニにとって聖なる場所だという。木には亀が彫られていた。

これらの木は、アボリジニの精神性を現しトーテムとして信仰されているそうだ。

その後、バスはブルーマウンテンが見える切り立った岩の上にやってきた。眼下には、深い深い森が横たわっていた。

森にはたくさんのユーカリの木が生えていて、その木からでる樹液の油分が、空気中に漂い太陽光に反射して、山々を青く見せるそうだ。それが「Blue Mountains = 青い山々」の由来だという。岩には、窪みがありそこにアボリジニのマークがあった。

その後、バスは違った崖の上へ向かった。

 ブルーマウンテン国立公園の入り口の町カトゥーンバ(Katoomba)にあるエコポイント(Echo Point)展望台からは、ジャミソン渓谷(Jamison Valley)にそびえ立つ三つの切り立つ岩柱が見えてきた。


これが、スリーシスターズ(The Three Sisters)である。この岩には、魔法で岩の姿に変えられた美しいアボリジニの3姉妹の伝説がある。

 かつて、この地で美しい3人姉妹と祈祷師の父親が平和な生活を営んでいた。ある日、魔物が娘たちを襲いにやって来た。驚いた父は魔術で娘たちを岩にし、自分をコトドリに変身させ、岩穴の中に逃げ込んだ。しかし父親も娘たちも一生人間に戻ることができなくなったという。

それと少し違う内容の伝承もある。

 昔々、カトゥンバ族の魔法使いと、メニヒ、ウインラ、ブネドゥと呼ばれ る三姉妹が住んでいた。三姉妹は、ネビアン族の勇敢な三兄弟に恋をしてしまった。しかし、昔からの掟で異族間の結婚は禁じられていた。若者達は、禁じられ た恋に命をかけて武力で娘達を奪おうとしたが、カトゥンバ族は抵抗し、やがて部族間の戦は激しくなった。魔法使いは戦が終わるまで娘達を岩に変えて隠さ せ、戦が終わったらもとに戻すつもりでいた。しかし、魔法使いは戦死してしまい、娘達は元の姿に戻れなくなってしまったとか。

エコポイント展望台から、渓谷に下って行くと滝が見えた。

そこにはいくつもの巨石が点在していた。

この山は不安定なため、スリーシスターズがはっきり見えることは少ないとう。今回は、かなりくっきりと見えて幸いだった。

最後にガイドは、アボリジが彫ったカンガルーの岩絵を見せてくれた。

 ブルーマウンテンには、多くの先住民の記憶が残っている。

         ニュージーランド、オアマルにて

                        郡司 拝

2010/04/19

オーストラリアの奇岩天国、デビルズ・マーブルズDevil's Marbles

 ウルルのロック・ツアーからアリス・スプリングスのホステルへ戻り、夕食をすませてからテナント・クリーク行きのグレイハンドバスに乗る。バスは約500kmの行程を7時間かけて走り、深夜1時半過ぎにテナント・クリークの町に到着した。前もって予約しておいたホステルの人に迎えに来てもらい、チェックインして就寝。

 翌16日
 お昼にデビルズ・マーブルズ行きのツアーへ出発する。ツアーと言っても参加者は、我々二人にガイド兼ドライバーの三人だ。

 天候に恵まれた中、車はスチュアート・ハイウエィを南下した。30分ほど走ると赤茶色した塔のようなものが目に入った。どこかメンヒルのように見えるが、それは大きな蟻塚群だった。ガイドのビルは車を停め、蟻塚を案内してくれた。


 蟻塚には女王蜂が一匹だけ入っていて、大きなものは2m以上近くある。この蟻塚ができるには約20年の歳月がかかるという。その風景は、どこか古代遺跡を想像させた。

 その後、車で30分ほど走ると左手奥に巨石群が姿を現した。

 これがアボリジニの人々から「悪魔の卵」と伝えられるデビルズ・マーブルズだ。テナント・クリークから南に約100kmのところにある。草原の中の奇岩がごろごろと広がっている。確かに卵のような丸い石もあちらこちらにあり、実に面白い風景だ。二つの卵が寄り添っているように見える巨石は、知られている。

 ビルは、これらの巨石を案内しながら、これらの奇岩がどのようにできたか説明してくれた。風雨の力で溶岩が冷え固まった花崗岩が数百万年の時を経て風化し、浸食を繰り返してこのような形になったこという。さらに奥に行くと、岩盤の上に丸い石がぽつんとあった。

 何とも面白いバランスだ。まるで人為的に置かれているようにも見える。思わず、巨石を押した写真を妻に撮ってもらう。

しばらくして、車で移動するとまた別な巨石群があった。
積み重ねられたように見える奇岩。

卵を立てたような巨石。

桃太郎岩や子象岩などなど・・。


巨石マニアにはたまらない。

 夕方、ビルはデビルズ・マーブルズ近くのキャンプ場でバーベキューの夕食をもてなしてくれた。
そして、彼は最後に近くの巨岩の上を案内してくれた。そこから見える石の風景は実に美しかった。
デビルズ・マーブルズは、奇岩天国である。

我々は、再び二つの卵石を訪ねデビルズ・マーブルズを後にした。


                 シドニーにて
                       郡司 拝

THE ROCK TOUR  世界最大の磐座、エアーズ・ロック

 413日から15日にかけてアリス・スプリングス発の三日間のロックツアーに参加する。21人のヨーロッパ、アジアの若者に混じって我々はキングス・キャニオン、ウルル・カタジュタ国立公園の奇岩を巡った。連日、日の出前に起床し,オーストラリア先住民の聖なる岩山をトレッキングで巡る旅は、まさに聖地巡礼のように思えた。そこには、驚くべき岩の世界が広がっていた。


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 日の出と共に出発したミニバスは、約240kmの肯定を4時間あまりで走りキングス・キャニオンへ到着した。ここは、中央オーストラリアで最も壮大な景色といわれる。約6kmものトレイルを歩くと、そこにはチョコレート色の奇岩やレンガを積み重ねたような風景が我々を待っていた。

何万年もかけて雨と風に磨かれた赤茶色の砂岩は、酸化鉄が含まれ、一層大地を赤く演出していた。



 「世界の中心で愛をさけぶ」ラストシーンの舞台にもなったキングス・キャニオンは、多くの日本人観光客が訪れる人気のスポットになっているとか。圧倒的な絶壁がとてもダイナミックな風景を見せてくれる。

その夜は、満天の星に見守られながら寝袋で野宿。南十字星が実に印象的だった。


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 早朝の光の中、ウルル・カタジュタ国立公園へ入園(A25)。

世界最大級の一枚岩エアーズ・ロックは地元アボリジニ(オーストラリア先住民)の人々はウルルと呼ぶ。それは、地球のへそという意味がある。エアーズ・ロックと同じ岩山であるカタ・ジュタ(オルガ山)は、アボリジニの重要な聖地である。また、ここは古来からのアボリジニの痕跡を随所に残す文化的な場所でもある。国立公園はピッティンジャラジャ評議会というアナング族の組織が有していて、オーストラリア政府にリースしている形をとっていた。

最初に、カタジュタ(オルガ山)へ行く。オルガとはアボリジニの言葉で「たくさんの頭」を意味する。

36もの岩のドームがあり、巨大な生命体のように見える。澄んだ水辺から岩を見上げると、巨大な象の姿に見える。エレファント・ロックだ。



風の谷のナウシカは、ここからヒントを得たという。最後に、オルガ岩のビューポイントへ行く。


 昼食を食べ、エアーズ・ロックの周囲を少し散策する。エアーズ・ロックの岩は、実に様々な表情を持っていた。




今でも儀式に使われている、聖なる池。

洞窟状の岩には、いくつもの岩絵が描かかれていた。



この花崗岩の赤い岩は、多くの鉄分を含んでいるため赤く錆びたのだという。

 驚いたことに、途中途中にいくつもの看板が立てられていて、「アボリジニの聖地なので写真を一切禁止する」とある。撮影したものは罰金A5000とあるのだ。

 

 夕食をいただきながらサンセットのエアーズ・ロックを鑑賞する。まさにドリームタイムを感じさせた。



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 早朝、朝食をいただきながらサンライズのエアーズ・ロックを鑑賞する。

その後、エアーズ・ロックの周りを歩く。朝日を浴びた赤い岩肌は、実に不思議な景観を見せてくれる。





岩肌は、実に艶かしくどこか聖地の性地性を感じる。イルカに似た岩と岩絵



 恥ずかしながら、当初、私はエアーズ・ロックに登ろうと思っていた。それは、岩上の写真を撮りたいという好奇心からだ。しかし、エアーズ・ロックの周りを歩けば歩くほどこの巨大な岩が神聖な場所であり、日本の磐座と同じように思えてきたのだ。その上、岩の入口には「エアーズ・ロックは、アボリジニにとって神聖な場所で、特別な司祭以外登らないので、登らないで欲しい」との看板まであるのだ。パンフレットに寄れば、エアーズ・ロックの登山でこれまで35人以上が事故で命を落としていることから、これ以上、犠牲をださないためにも登らないでくれとかかれてあった。20097月にオーストラリア政府は201110月に入山禁止の措置を取る計画を行なっていることが明らかになった。しかし、201018日に観光業界に配慮し、登山を当面認めることを発表したという。いったい、何のための世界遺産なのか。聖なる岩山に鉄杭を打ち、登山道にしている行為自体が先住民の聖地を汚す行為に他ならない。一刻も早く、登山を禁止すべきだと思う。

その日、強風のため登山は禁止された。


 帰りがけ、ガイド兼ドライバーのサムは急ブレーキを踏んでバスを停めた。彼は道路でトーニー・デビル (thorny devil)と呼ばれるトゲトゲしたトカゲを見つけたのだ。

molochという別名を持つ珍しいトカゲは無毒で、敵から身を守るため、肌の色を変えることが出来るという


 「エアーズ・ロックは世界最大の磐座だ」、ロック・ツアーは、私にそんなことを教えてくれた。


                      アリス・スプリングスにて

                                 郡司 拝