2010/03/15

Lajede Pai Mateus パイ・マテウス(ヘルメット)の奇岩群

 我々を乗せたトラックがオフロードを走ると、辺りに巨大な岩盤の岩山が現れた。その岩盤の上にはたくさんの奇岩が点在していた。その光景は、まるでジンバブエのドンボシャーやマトポス国立公園の奇岩群を彷彿させるものがあった。「南米最後の石巡礼地にふさわしい場所だ」、私は心の中でそう呟いていた・・・・。

 3月10日
 リオ・デ・ジャネイロから3時間のフライトでブラジル北東部のベルナンブーコ州の州都レシフェに飛ぶ。海岸近くのホステルに宿泊し、翌日、バスでレシフェから100kmほど離れているカンピナ・グランデへ向かった。

 世界石巡礼へ出立する前、沖縄の恩師である島袋伸三先生(琉球大学名誉教授)からある手紙が届いた。島袋先生は、沖縄の移民研究の調査で何度もブラジルを訪ねていて、ある地元新聞の中に折り込まれていた巨岩の写真を送って下さったのだ。その奇岩の名称を調べ、グーグルアースで検索するとその巨石は、ブラジル北東部のカンピナ・グランデの近郊、カバセイラスの町の近くにあることが分かった。
南北アメリカ大陸の世界石巡礼の最後の巡礼地は、このパイ・マテウスにすることにした。

 3月12日
 カンピナ・グランデを早朝6時に出発したバスは、午前8時にカバセイラスの町に到着した。地元の人にパイ・マテウスのことを尋ねるが、言葉が通じずなかなか分からない。ある人が、カバセイラスの博物館で尋ねたら分かるといってくれたので、8時半過ぎに博物館に行くと職員の方はパイ・マテウスへの行き方を教えてくれた。博物館の中には、パイ・マテウスの巨大な写真が飾ってあり、何とも面白い形だ。

パイ・マテウスとは、石のヘルメットの意味である。我々はトラックをチャーターして、カバセイラスから25kmほど離れたパイ・マテウスへ向かった。トラックは、オフロードを滑るように走った。しばらく走ると、遠くに奇岩の岩山が見えてきた。パイ・マテウスは公園になっていて、そこを管理するHotel Fazenda Pai Mateusで入園料を払うと、一人のガイドが同行して巨石を案内してくれた。
ホテルの裏からオフロードを15分ほど走ると、奇岩の山が目に入ってきた。トラックを下りて公園の入口を進むと、巨大な岩盤の上にいくつもの奇岩群の風景が現れた。

幅5m近くある巨石の上には、サボテンが生えていた。

その背後には、水がたまっていた。これは、人工的に作ったプールである。水量は少ないが、5月、6月には一杯になるという。我々はダムの縁を歩きながら、岩盤へと上っていった。しばらくすると、丸石が現れた。

その後、しばし巨岩の数々に圧倒されながら歩く。

やがてガイドは、ある洞窟状の巨岩の前で説明をしてくれた。

ここは、いまから数千年前に生活していたカリリ族と呼ばれるインディアンの祭祀に使われた洞窟だという。洞窟内の岩には、いくつもの手や動物が描かれていて、洞窟内のテーブルでシャーマンが儀式を行ったという。


洞窟から外を眺めると、丸い巨石ともう一つ別なテーブル状の石があった。

その後、しばらく巨石群の中を歩く。こんなハッピーな感覚で巨石を見るのは久しぶりのような気がした。やがて、ガイドは、ある巨石に近付きおもむろに小石で巨石を叩き始めた。

その音は、金属を叩いているような音がした。ガイドに寄れば、この石だけが金属音を出すという。

いよいよ、ここの地名にもなったパイ・マテウスの岩に行く。中に入ると、高さ3mくらいの巨大ヘルメットの中にいるようだ。面白い巨石である。

周りを見ると、他にもヘルメットになろうとしている巨石があった。長い年月の浸食や風化を経て、ここではいくつものヘルメット岩が作られてゆくのだろう。

さらに奥に進むと、幅約10m、高さ約3mものドルメンのような巨石が現れた。

テーブル状の巨石の下を覗くと、石を敷き詰めたような感じで、まるで人工的に作ったように見えた。その隣には、幅約5m、高さ約2mもの割石があった。

最後に向ったのはSaca de Lãと呼ばれる巨石だ。パイ・マテウスからトラックで10分くらい走り、そこから10分ほど歩くと、小さな沼の岸辺にいくつもの巨石が重なってでき迫力ある巨岩が現れた。

高さ約10m、幅は30mくらいはあるだろうか。まるで人工的に作ったピラミッド神殿のようである。

撮影をして、しばらくぼーっと巨石を眺めていると、まるでデジャビュを見ているような不思議な感覚になった。この石の神殿を、どこかで見たことがある。そう、それは三重県の鈴鹿市にある重ね岩と似ていた。世界の巨石は、相似性を持って存在する。そんなことを感じながら、パイ・マテウスを後にした。


       ブラジル、サンパウロにて
                 須田郡司 拝


追伸:北米、南米の石巡礼を終え、3月16日に一時帰国をします。その後、4月初旬から最後のオセアニア地域の石巡礼を行います。

2010/03/14

リオ・デ・ジャネイロ、二つの巨岩観光地 コルコバードの丘 Corcovado、ポン・デ・アスカールPao de Acucar

クリチバを19時半に出発した夜行バスは翌朝9時にリオ・デ・ジャネイロのバスターミナルへ到着する。

ターミナルでしばらく休憩して、コパカバーナにあるユースホステルにローカルバスで向かう。リオのバスは、大人がやっと一人通れる回転式の入口になっていて荷物があると持ち上げなくてはならず、結構大変だ。驚くことにバスの運転は荒く、急発進、急ブレークに猛スピードで曲がる。わずか30分あまりのコパカバーナへの旅でバス酔いをしてしまう。

コパカバーナの海岸は、砂浜が美しく、イパネマ海岸と共に有名なリゾート地でもある。


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リオ・デ・ジャネイロの二つの巨岩観光地を訪ねる。 最初は、巨大キリスト像で知られるコルドバードの丘へ行く。

コパカバーナからバスでコルコバードの登山列車駅まで移動。長蛇の列に一時間あまり並んで、ようやく登山列車に乗ると、20分あまりでコルコバードの丘へ。丘の上の駅からエレベータとエスカレータでキリスト像の近くまで行ける。エスカレータに乗るとキリスト像が見えてきた。

しかし、そのキリスト像は、鉄パイプで囲われていた、何かの改修工事中であった。



キリスト像の前に広場では、200人以上と思われる観光客がひしめきながら展望を楽しんでいる。そこからリオの街全体の景色が見えた。

それにしても、この街は奇岩の山々と入り組んだ湾によって実に風光明媚な景観を作っている。標高710mのコルコバードの丘には、高さ38mのキリスト像が立っている。この像は、1931年ブラジル独立100周年記念で造られたもので、まさにブラジルのシンボルである。

丘からの眺めは実に素晴らしく、特にグワナバラ湾に面して、ツンと突き出したような巨岩ポン・デ・アスカールは実に存在感のある巨岩であった。


その後、登山電車で下山し、バスで海岸や湖へ行くとコルドバードの丘のキリスト像が遠くに見えた。



キリスト像はまさにリオのランドマークであった。


 次に、ポン・デ・アスカールの奇岩へ向かう。この岩山は、別名シュガー・ローフとも言われ、その形が似ていることから「砂糖パンの山」という意味がある。下から見ると、とんがり帽子のような巨岩が迫ってくる。

かつて、リオはサトウキビの出荷港として栄えていたらしく、そのサトウキビから蜜を取り出すために使われていた釜の形がこの山の形に似ている事から「砂糖パンの丘」ポン・デ・アスカールと呼ばれるようになったという。ここは、ロープウェイで二つの巨岩上に上ることができる。最初の巨岩の上には、飲食店やお土産の店、映画館、などがあり、ゆったりと寛げるスペースになっていた。ここからの眺めも実に美しい。

そこから、さらにロープウェイを乗り継ぐと、標高396mの巨岩ポン・デ・アスカールの岩山の頂上に行くことができる。



そこからは、コルコバードの丘をはじめ、コパカバーナの海岸、リオの町並みを見下ろすことができる。

山上には、飲食店などがあり、観光客はその景観の美しさを堪能していた。やがて日が暮れ、コルコバードの丘上の雲が紅く染まった。

そして、美しい夜景が現れた。


リオ・デ・ジャネイロの二つの巨石観光地は、実に人々をひきつける魅力があった。この二つの奇岩の名勝地は、ブラジルを代表する観光地でもある。このユニークな奇岩地形は、これからも人々に愛されつづけてゆくだろう。

      ブラジル、レシフェにて 

          郡司 拝

2010/03/07

ヴィラ・ヴェーリャVila Velha州立公園の奇岩彫刻

 アルゼンチン側でイグアスの滝を見た後、夕方、タクシーでアルゼンチンを出国し、ブラジルへ入る。
タクシーに乗ったままで荷物チェックもなく、こんな快適な出入国は初めての経験だ。その後、バス会社で2時間近く待って、クリチバ行きの夜行バスに乗る。

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 朝6時にクリチバに到着する。ホステルに荷物を預け、ヴィラ・ヴェーリャ州立公園行きのバスに乗る。バスで1時間半ほど走ると、ヴィラ・ヴェーリャ州立公園入り口に到着した。

そこから、緩やかな坂道を上って行くと公園の施設があった。この州立公園は、18平方キロメートルという広大な土地のため、園内はガイドの案内でマイクロバスの移動で見学できるようになっていた。

 1953年に造られたヴィラ・ヴェーリャ州立公園は、。バラナ州の州都クリチバ市の西方約85kmに存在する奇岩群は、約350百万年前に大量の砂で形成されたものだという。その当時、地表を被っていた氷が溶け始めた時に残ったのが奇岩の基礎となり、その後、風雨による侵食などで様々に形造られたという。

 最初に向かったのは、フルナス(Furnas)と呼ばれた浸食によってできた池である。マイクロバスで20分ほど走ると、大地に大穴が空いていた。

直径約30m、深さ約100mの穴が開いて、近づくとその穴には、エレベーターが付いていた。ただ、残念ながらエレベータは故障中で下に降りることはできなかった。

 上から覗くと一条の滴が下の池まで伸びていて波紋となって広がっていた。



この世のものとは思えない実に美しい光景であった。

いよいよ、ヴィラ・ヴェーリャ州立公園のメインである奇岩群を巡る。トレイル沿いは、高さ約2030mの岩が様々な形をして立っていた。ガイドは次から次へと奇岩の名称を教えてくれる。何とも楽しい奇岩風景の数々。

Camelo(カメーロ・駱駝)の頭

Garrafa(ガハファ・瓶)

Indio(インディオ)


Noiva(ノイーヴァ・花嫁)

Bota(ボッタ・ブーツ)

Esfinge(エスフィンジ・スフィンクス)

最後に、ヴィラ・ヴェーリャ州立公園を象徴するTaca(タッサ・杯)

ここには、通称で親しまれている奇岩が100以上もあるというのだ。ただ、ものによってはかなりの想像力が必要だが・・・。

 ヴィラ・ヴェーリャ州立公園は、長い歳月をかけて自然が作り出した彫刻であった。

           ブラジル、クリチバにて

                       郡司 拝

大いなる水の記憶、イグアスIguazu

 ブエノスアイレスを13時半に出立したバスは、ブラジル国境の町プエルト・イグアスの町に翌朝8時に到着。ジャングルに包まれたプエルト・イグアスは、まさに猛暑といった感じだった。ホステルにチェックインし午前10時過ぎに、ブラジル領事館にヴィザ申請に出かける。申請料(US50ドル)を払い、午後1時半に無事ヴィザを取ることができた。領事館には、日本の若いバックパッカーを数人見かける。ここは陸路でブラジルに入る場所として知られていた。その日は、プール付きのホステルで久しぶりにゆったりと過ごす。

 3月4日
ブラジルに移動する日、世界三大瀑布の一つイグアスの滝に行く。路線バスで30分ほど乗ると、イグアスの滝の入り口に到着。入園料85ペソを払い中に入る。軽便鉄道に乗り換え終点から川上の中を縫うようにして掛けられている遊歩道を歩きながら、大小無数の滝の光景を見ることができる。

そこには、これまで見た滝のイメージを超えた世界が待っていた。



 イグアスは、アルゼンチンとブラジルにまたがる巨大な滝だ。「Iguazu」とは、先住民グアラニ族の言葉で大いなる水「Y Guazú」という意味があるという。
 最大落差80m以上、「悪魔の喉笛」(Garganta del Diablo)と呼ばれる、滝の表情は、水しぶきをうけながらも吸い込まれるような不思議な魅力があった。


特に印象的だったのは、滝に打たれる巨岩だ。

どこか修行僧をイメージさせる。
時折、滝に虹がかかりさらに幻想的な世界に導いてくれる。


大いなる水、イグアスは地球という巨石が造った自然の造形美だ。


       ブラジル、クリチバにて
                    郡司 拝

2010/03/01

タランパーヤTalampaja国立公園、先住民の記憶と奇岩群


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 イスチングアラスト州立公園と並んで、世界遺産に登録されているタランパーヤ自然公園のツアーに参加する。「月の谷」のツアーは小雨交じりだったが、今回は青空が顔を見せていた。

8時、ホテル前でピックアップしてもらい2時間のドライブで、タランパーヤ自然公園の入り口に到着する。入園料25ペソ、公園内のミニバス代65ペソを払い、10時半にツアーはスタートした。20分ほど走るとオフロードになり、やがて高さ140mもの浸食した地形が現れた。ガイドの説明は実に手際がよい。

タランパーヤ国立公園は、サニャガスタ山脈と、コロラドス山脈に囲まれた盆地に位置し公園内には、風と水によって浸食し削られた、魅力的でユニークな風景が広がっていた。

最初にピラミッド状の岩に近くにミニバスは停まった。

隣の岩に、二体の奇岩が見える。

岩の反対側にある崩れ落ちた岩石群には、先住民の先刻画「ペトログリフ」がたくさん刻まれていた。

岩には人物、動物など様々な画が刻まれていて、灰状穴もあった。



ここは、かつて宗教的に重要な場所であったという。

次に、岩盤をえぐるように半円状の溝が垂直に走った地形。

ガイトは、ここで皆で大きな声を出すように合図すると、4秒後に反響音がこだました。

やがて、国立公園を代表する風景であるラ・カテドラル(大聖堂)と呼ばれる、高さ120mの巨大な岩壁が現れた。

どこか、ガウディのサグラダ・ファミリアを感じさせる。その近くには、人が乗った駱駝岩、コンドルに似ているコンドル岩などがあった。


やがて、ミニバスは奥へと進み、最後の見所へと向かった。La TorreLa Totemと呼ばれる二つの塔の岩。

その奥にあるのが、エル・モンヘEl Monje(修道士)と呼ばれる岩だ。

日本であれば地蔵岩と名前が付けられそうな岩だ。帰りがけ、反対側からエル・モンヘを見ると、荒野に一人佇む姿に見えて実に渋い。

タランパーヤ国立公園の多くの奇岩群が、様々な名称を付けられ、人々から親しまれていることは嬉しいものがあった。奇岩は人々を楽しませ、そして豊かにしてくれる。

アルゼンチン、ブエノスアイレスにて 

                        郡司 拝


 追伸:227日深夜、我々はサンファンのあるホステルに宿泊していた。その夜、ホステルのスタッフの誕生日のパーティーに招かれ屋上には30人くらいの若者が集まってにぎやかな宴に参加していた。3時半頃、部屋に戻ると電球が揺れていた。私は、酔っているせいでその時、地震とは気付かなかった。翌朝、チリ地震のことを心配して義母からメールが届いた。深夜の揺れは、チリ地震のものだったのだ。


 チリ地震で亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。