2010/02/19

聖なる谷、ウルバンバ(Urubamba)に佇むインカ遺跡の巨石遺構


14年ぶりにクスコを訪ねる。

リマから1時間20分あまりのフライトでクスコの空港に到着すると、空港内は観光カウンターの呼び込みが激しかった。タクシーで街中に移動し、手頃なホテルを探してチェックインする。

1月末、南米コロンビアを訪ねている時、クスコ周辺の豪雨で死傷者が出たとの情報を知った。マチュピチ遺跡に多くの人が閉じ込められ、ヘリコプターでの救出、その後まもなくペルー政府はマチュピチュ遺跡の入場を全面的に禁止した。鉄道の復旧は、一ヶ月以上かかるとのこと。残念ながら、今回の旅ではマチュピチュとの再会は断念せざるを得ない。14年前、クスコ近郊のインカの遺跡は、ピサックくらいしか回っていなかった。そこで、今回は、クスコ近郊の遺跡を巡る事にした。


212日、聖なる谷、ウルバンバ(Urubamba )沿いの遺跡、ピサック( Pisaq とオリャンタイタンボ(Ollantaytambo)を巡るツアーに参加する。

8時半、ホテルの前にバスは迎えに来てくれる。その後、クスコ市内を巡りツアー参加者をピックアップし、9時過ぎにクスコを出発。久しぶりに日本人の旅行者二人とご一緒し、色々な話をすることができた。

バスは高原を快適に走り、やがてウルバンバ川の谷間へと下って行く。ピサックの村から山道を上り、11時半頃ピサック遺跡の入口に到着する。ピサックは、クスコの北約30kmにあり、マチピチュ遺跡と似ていた。14年前、ピサック遺跡に行った時は、一時間近く石段を登ってようやく遺跡に着いたことを思い出す。しかし、今回、驚いたのは遺跡への入口がかなり上になっていて、車で上まで行けるようになっていた。それほど、上らなくても遺跡を見学できるようにしたのだ。

我々は共通入場券を購入し、さっそく遺跡へ入場する。入口からフラットな道をしばらく歩き、急坂を下って行くと段々畑が見えてくる。

畑の中に巨石もある。

そこから細い道を15分くらい登ると、ピサック遺跡の中心部に到着した。遺跡の一部に縄が掛けられ、中に入ることができなかった。

少しだけ入ると、警備員が警笛を鳴らした。14年前は、このような縄は無く警備員もいなかった。これでは太陽の神殿の自然石を触ることはできない。

しばらく、ピサック遺跡群内を散策する。太陽のカレンダー、太陽神殿、施設跡、水路などを見ながら遺跡の背後の小山に登る。






ピサック遺跡は、その景観の見事さだけでなく祭祀場として今でも十分役割があるように見えた。

 ガイドは、この太陽神殿近くの自然石はパワーがあるので、触ってみてくださいという。


その後、昼食を食べ、バスで一時間ほど走るとオリャンタイタンボに到着する。

ここは、聖なる谷の中心にありインカ時代の宿とも要塞跡とも言われていた。タンボとは、ケチュア語で旅籠の意味がある。

かつて、インカの最後の皇帝マンコ・インカはインカ軍とともにオリャンタイタンボに潜伏し、やってきたスペイン人たちを撃退したという。しかし、その後、彼らはその奥地のビルカバンバへ身を潜めたという。

オリャンタイタンボに入場すると、正面の岩山に向かって見事な段々畑が見えた。

左手の岩山の山上には石組みの遺跡も見える。

歩いて、段々畑の脇道を上る。斜面は45度近くあり、急な石段が続く。300段ほど上るとオリャンタイタンボの広場に出る。そこには、インカの石組みや、巨石建造物などがあった。



遺跡は上の方へと続いていて、私は上へ上へと呼ばれるように遺跡の岩場を上って行った。かなり急な道で息を切らせながらようやく最上部の遺跡へと辿り着いた。下を除くと、オリャンタイタンボ内を見学する人々が米粒のように見えた。

さらに上の岩山を上ろうとしたが、足場が危なく断念する。

広場に戻り、岩の中腹の小道を岩山に沿って歩くとさらに段々畑は続いていた。

それにしても、こんな急な段々畑をよく作ったものだ。インカの人にとっての石積みはかなり高度な技術を持っていたのだろう。

対岸の山を見ると、山に張り付くようにいくつかの石の建造物が造られていた。


オリャンタイタンボの遺跡は、いったい何のために造ったのだろう。遺跡を見ると、どこか宗教的な施設のように感じられた。


 聖なる谷、ウルバンバにあるピサックとオリャンタイタンボを巡りながら、インカの石造技術の凄さ、巨石遺構の驚き、それと同時に巨石信仰の存在を感じることができた。

このウルバンバの谷間には、今でもインカの末裔の人々の生活が営まれている。

              ボリビア、ラパスにて

                       郡司 拝