2010/01/29
圧倒する巨岩、ラ・ピエドラ・デル・ペニョールla piedra del peñol
コロンビア第二の都市メディジンは標高1500mあまりの山々に囲まれた盆地のなかにあった。巨大な建築物が町の至るところに点在していた。メディジンの中心地のホテルに泊まり、翌日、ローカルバスに乗り一名所ピエドラ・デル・ペニョールへ向かった。
メディジンのバスターミナルを出発し、しばらくすると連続するカーブが待っていた。辺りは起伏に富んだ緑豊かな田園風景で美しい。やがて、道路の両サイドに湖畔が見え隠れしていると、突然、巨大な岩が車窓から見えた。
何ともすごい迫力だ。興奮しながら写真を撮っていると、すぐにバスは巨岩の入口に停まった。そこから、トゥクトゥクに乗って、巨岩の麓までたどり着いた。下から見ると、さらにその巨大さに圧倒された。
巨岩には、まるで縫い目のような階段が縦筋に作られていた。
岩の麓にはお土産屋さんとレストランがあり、かなりの観光地のようだった。
我々は、さっそくその岩山に登ることにした。岩には大きな割れ目の溝があり、そこに階段が作られていた。
途中、聖母マリア像と思しき銅像が岩を見上げるように立てられてあった。
我々は、15分ほどで649段の階段を上って頂上に到着。頂上にはレストランやお土産さんがあり展望台からは360度のパノラマ風景が待っていた。
入り組んだ島々と湖が実に美しい。
エル・ペニョン市(el Peñol)のグアタペ(Guatape)村にある巨岩「ラ・ピエドラ・デル・ペニョール la piedra del peñol」は、巨岩の名所として知られている。高さ220mの一枚岩は、石英、長石、雲母で構成されていて、一説によると隕石によって出来たともいわれる。この岩山を最初に登頂したのが1954年、ルイスエドゥアルドビジェガスロペスLuis Eduardo Villegas Lo'pezという人物とされる。今では、ロッククライマーの登山ルートが24ヶ所もあり観光地だ。また、この岩はその場所の地名から別名「グアタペ ロックGuatape rock」とも呼ばれ、石に白い単語GUATAPEにペイントする計画があり、現時点ではGとIのマークが見える。これは近隣の自治体エル・ペニョン市からクレームがあり問題になっているらしい。
巨岩から降りて、周囲を巡るとほぼ垂直に切り立った岩盤が見えた。
それにしても実に奇妙な形をした一枚岩だ。岩にはキリスト教的な文字が描かれ信仰的なシンボルにもなっているようだ。上り口の反対側の巨岩の麓には、対になったような巨石があった。
実はこのグアタペ湖は今から25年ほど前に造られた人造湖である。エル・ペニョン市は、観光開発と水資源の確保として湖を造り、橋でつないで美しい景観を創ったのだ。いまでは、ホテルや別荘などが建ち並んでいた。そして、何と言ってもその中心的な存在がこの一枚岩ラ・ピエドラ・デル・ペニョールだ。
エル・ペニョン市の計画した人造湖は、この巨岩のさらなる聖地性を高めた。人々はこの岩に登り、人造湖の美しさに感動せずにはいられないだろう。
コロンビア、メデジンにて
郡司 拝
2010/01/27
コスタリカ、謎の丸石(石球)巡礼
ニカラグアのオメペテ島から早朝の船でサン・ホル、リーヴァイスへ移動。コスタリカ行きの国際バスに乗る。1時間ほどで国境へ到着。ニカラグアの出国手続きで1時間、それからコスタリカの入国手続きをするも、そこには300人近い行列ができていた。炎天下の中、3時間以上待たされることになる。ニカラグアからの出国からコスタリカへの入国は4時間もかかり、コスタリカの首都サンホセに到着したのは夜8時を回っていた。その日は、予定していたプール付きのホステルへチェックインして休む。
中米最後の石巡礼地は、コスタリカ共和国。ここには謎の丸石(石球)があり、どうしてもお目にかかりたいと思っていた。
1930年代、コスタリカの南部ディキス地方でアメリカのユナイテッド・フルーツ社がバナナ農園を作るためのジャングルを開墾をしたところ、地中からいくつもの球体の石がごろごろと出てきた。その石の総数は500個以上といわれ、直径2㎝くらいの小さなものから、直径2.5mもの大きなものまであった。最大級の石球の重量は約25トンもあり、驚くことに多くの丸石は真球に近かったという。
翌24日、我々はさっそくサンホセ市内の丸石巡礼へ向かった。最初に訪れたのは、国立博物館。
9時の開館に合わせて行くも、受付係の遅刻で15分待たされてから中に入る。するといきなり中庭に置かれた丸石が目に飛び込んできた。
何ともかわいい、そして存在感がある。しばし、見惚れてしまう。さらに奥の庭に意図的に配置された丸石は、石庭を感じさせる。
あるコーナーでは、これら丸石が発見された当時の様子などが写真を交えて展示されていた。展示コーナーに置かれた丸石たち。
割れた丸石には、ペトログリフが彫られていた。
丸石を見ているだけで、妙に元気になってくるのが不思議だ。
博物館の外に出ると、ベンチの下に丸石を発見。
立派な建物の門の上に載せられたペアの丸石。
裁判所の前に置かれたバラの花に包まれた丸石。
直径3mあまりの巨大な丸石のモニュメント(石では無い)まである。
これらの丸石は、西暦300~800年頃にこの地で栄えたディキス石器時代に作られたものとの説が有力だが、何のために使われていたかは、はっきりしていない。ただ、この丸石を作った時代には、高度な石彫技術、黄金細工技術があり数々の遺物を博物館で見ることができた。
花崗岩を人為的に加工して作られた丸石たち。この球体はどこか地球を感じさせる。古代の人々は、この大地である地球を感じながら丸石を造っていたのではないだろうか。
エコツーリズム発祥の地であるコスタリカ共和国は、1948年に憲法の規定で軍隊を廃止した世界初の国でもある。コスタリカの丸石(石球)は、まさに平和を象徴している。
最後に子供博物館の中庭を訪ねると、丸石の三兄弟が仲良さそうに並べられていた。
本日(1/26)、中米から南米コロンビアへ飛ぶ。
コロンビア第二の都市メデジンにて
郡司 拝
火山島に残る先住民の記憶・オメテペ島(Isla de Ometepe)のロック・アート
サンサルバドルからの国際バスで12時間かけてニカラグアの首都マナグアへ到着し、それから比較的治安のよいグラナダへ移動して宿泊する。翌日、グラナダの博物館でいくつかの考古学的な石像が見学する。グラナダの観光案内所で石情報を調べると、ニカラグア湖の火山島オメテペ島にペトロブリフが刻まれた石があることを知り、翌22日、オメペテ島へ渡ることにした。
グラナダから一時間半あまりでオメテペ島へ渡るサン・ホルの港に到着。浜辺で泳ぐ姿が見え、何とも穏やかな湖だ。
数十人くらい乗れる客船でオメペテ島に向け出港する。時折、波しぶきが船の中に入ってくる。しばらくすると、二つの山が見えてきた。
島の形はまるで「ひっこりひょうたん島」、北側はコンセプシオン山(Concepción)海抜1610m、南側はマデラス山(Maderas)、海抜1394mという2つの火山で形成されている。コンセプシオン山は今も噴煙を上げる活火山、マデラス山は休火山だ。
1時間あまりオメテペ島に到着する。 島の北側のモヨガルパ桟橋を降りると、商店やレストランやホテルなどが並んでいて、歩いて5分くらいのホステルにチェックインする。この島は人口約3万5千人で、淡水湖の島では世界一大きいとか。ニカラグア湖は淡水鮫がいることで知られ、 天候もよかったので、午後、半日だけオフロードバイクを借りてペトフリフを見ることに。
ペトログリフ(Petroglyph)とは、ギリシア語のpetros(石、岩)と、glyphe(彫刻)が組み合わされた、造語で 「岩面彫刻」などと訳される。日本では岩絵とも言われ、古いものでは1万年前のものがヨーロッパの洞窟の中に見られ世界中に分布している。その多くは石器時代の文化として扱われる。また、近年ではロック・アートとも呼ばれる。
モヨガルパの町から23kmほど走ると、島内最大の町アンタグラシアで博物館を見学する。そこには、島で発掘された石像物やペトオグリフが展示してある。その後、ペトログリフがあるマデラス火山に近いサンタ・クルスへ向かう。
途中、島がくびれたところに「オホ・デ・アグア」(Ojo de Agua)という湧水地があり、湧水が川となり湖へ流れていた。
人々はその綺麗な水で洗濯をしたり、身体を洗っていた。砂地のでこぼこ道を30分くらい走ると、サンタ・クルスの村へ。地元に人にペトログリフの石を訪ねるもなかなか通じない。ある家の敷地内に石があり中に入り見させてもらうと、大勢に子供たちがやってきた。
結局、この石はペトログリフではなかったが。
ようやく、入口を見つけ600mほど山に入った処に簡単な屋根が付けられたペトログリフが点在していた。
ペトログリフは、様々な文様、動物や人の姿などが彫られていた。
あたりにはいくつもの石が点在していて、どこか奈良の三輪山の磐座群と似ていた。
周囲を散策していると、このペトログリフのある場所からコンセプシオン山を望むことができた。
古代の人々も、この聖なる火山を仰ぎながら、岩に記憶を彫り込めたのだろう。
帰りがけ、西日に照らされたコンセプシオン山の山頂と傘雲を見ることができた。
火山コンセプシオン山は、この島に変らぬエネルギーを与え続けている。
コロンビア、ボゴダにて
郡司 拝
2010/01/21
精霊の宿る二つの岩山、La Puerta Del Diablo(悪魔の門)
グアテマラシティを13時に出てエルサルバドルの首都サンサルバドルに到着したのは午後7時を回っていた。サンサルバドルは治安が悪い、との情報を聞いていたため、今回はTICA国際バスターミナルの中にあるホテルに泊まることにした。ホテルの前には、ライフル銃を持ったガードマンが24時間体制で警備をしていた。近くの商店は、鉄格子の中にあった。
翌20日朝、タクシーで観光案内所に行って、バルボア公園の近くにある「悪魔の門」と呼ばれる岩の情報を聞き、我々は、いつもと違った緊張感でミニバスに乗ってバルモア公園へ向かった。サンサルバドルの街は、銀行、商店、ターミナルなどには必ずといっていいくらい銃を持ったガードマンがいて、市場など人が多く集まる所に警察官が警戒をしていたのだ。これほどまでにライフル銃や拳銃を持った人が、普通に街中にいることは日本人には想像できない。治安が悪いせいか異常なくらいの銃社会なのに驚く。いっそうのこと、玩具のライフルでも買って、護身用に持って歩こうかなどと思った。
ミニバスはかなりのスピードで、サンサルバドルの南へと進み、30分ほどでバルボア公園入口へ、さらに公園から歩いて15分ほどで巨岩が見える広場に到着した。
かなりの観光地らしく、いくつかの店が営業をしていた。しかし、そのほとんどは休業中で、たぶん週末には大勢の人々で賑わっているのだろう。お土産屋の前を通り岩に近付くと、岩と岩の間が切り通しになっていて、その奥に富士山のような山が見えた。
この場所は、左右二つの大きな岩山があり、そこをくぐると谷底に穴があいているため「悪魔の門」と呼ばれている。
私は、さっそく悪魔の門と呼ばれる左右の岩山を目指すことにした。左の岩山は中腹に洞窟状の空間があり、その中から外を見ると、右側の岩山を見ることができる。
洞穴の中は、どこか霊場のような雰囲気があった。それもそのはず、ここは、かつて先住民から「精霊の宿る場所」と信じられていたのである。
今では、サンサルバドルの岩の景勝地としてかなりの人気スポットだという。ただ、谷底はゴミ捨て場になっていて、岩にはたくさんの名前が落書きのようにかかれていているのを見ると残念だ。
また、かつて内戦時には、この谷底には幾体もの死体が投げ込まれたという悲しい歴史もあるという。
洞窟から見える岩山を登ると、左の岩山を俯瞰してみることができた。
さらに左の岩山の裏に登山道があったので上ってゆくと、岩の割れ目に鉄の梯子がほぼ垂直に伸びていた。
一気に梯子を上り、崖を上ってゆくと空く悪魔の門の岩の上に出た。そこから富士山のようなパンチワルコ山と、イロパンゴ湖を望むことができた。
やはり、ここは聖なる岩山であるとつくづく思った。だからこそ、多くの人々にとって憩いの場所でありつづけているのだろう。
ニカラグア、グラナダにて
須田郡司 拝
2010/01/18
巨岩「悪魔の顔」、今も続くマヤ生贄の儀式
1月15日
ホンジュラスから再びグアテマラに入り、古都アンティグワに入る。ここは、富士山に良く似たアグア火山を街から望むことができ、スペイン統治時代のコロニアル建築で知られている街だ。日本人宿に泊まると、そこで「悪魔の顔」と呼ばれる岩があることを知り、翌16日、朝市を見学してからローカルバスで出かけることにした。
アンティグワは標高1520m、そこからバスで1時間ほど走ると、「悪魔の顔」と呼ばれる巨岩の麓に到着する。ここは標高540mほどで暖かく、川原で水遊びをする家族連れが訪れるちょっとした行楽地になっていた。下から二つの巨岩が見える。
この岩の一つが角度によってマヤ・インディアンの顔に似ているといわれ、マヤ・インディアンが悪魔とは、あまりにもキリスト教的な都合のよい解釈だと思った。実は、この岩の麓は今でもマヤの儀式が行われていて、マヤの人々にとっては聖なる場所なのである。我々は、さっそく巨岩の麓へ向かった。岩の麓には水路が流れ大きな巨石が岩盤に折り重なっていた。
その隙間を通り、下った処で地元の人が数人いるのが見えた。
午前10時頃から儀式の準備が始まった。二つの巨石が重なった場所が斎場らしく、岩屋の中と前の空間にある草が敷かれていった。祭祀を執り行っているのはどうも女性で、補佐としての男性が指導している様子が伺える。
岩屋の中に何本ものロウソクが立てられ火が灯される。岩屋の奥に3体ほどの人形(マヤの神)が置かれ、果物、ゆで卵、お酒、花などの供物が次から次へと供えられてゆく。
その後、男性は、巨石の前の空間にトウモロコシと思われる粉で円を描き、その上に茶色いかたまりをまるで絵を描くように置いていった。最後に何本ものロウソクを乗せ、準備が整ったようだ。
時計を見ると11時を過ぎたところ、いよいよ儀式がはじまろうとしていた。
私は本能的にカメラを向けた。すると、祭祀を仕切っている女性から「撮影するな」のジェスチャーが飛んできた。準備の時は何度か撮影させてもらったが、儀式中の撮影はあきらめ、見ることに集中した。
人々は、円形に作られたロウソクを取り囲むように膝を立てて座り、祭主のもと何やらマントラのような言葉を唱えている。ロウソクや、様々なものを奉納が続いて行く。我々は、どこか神話を見ているような不思議な感覚になった。目の前の儀式が、夢なのか現実なのか分からない。
しばらくすると、別の地元グループと思しき人々がやってきて、近くの巨岩の麓で儀式を執り行い始める。そのグループの儀式は1時間ほどで終り、やがて人々の姿は消えていった。その跡は、ロウソクが灯り花束が添えられていた。
静けさを打ち破るような鶏の泣き声で、我々は現実にひき戻らされた。いよいよ生贄の儀式が行われるのかと思い、我々は顔を見合わせながらどこか覚悟のようなものを確認し合った。
祭司に抱かれた鶏は、一瞬大きく泣き叫んだあとは静かになった。祭司は鶏を巨石や大地に擦りながら呪文を唱え、儀式を依頼していると思しき3人の身体に鶏を擦りつけた。その後、鶏に何かを飲ませて一瞬のうちに命を全うさせた。
人影で鶏がどのような状況で最後を迎えたかはよく分からなかった。しばらくすると、鶏の焼けた臭いが辺りに漂っていた。時計を見ると午後1時をすぎていて、3時間あま儀式を見ていたことになる。
我々はその場を立ち去り、巨岩の山を上ることにする。急な坂道が山頂へとつづき40分ほどで巨岩の頂上にたどり着く。そこには、天柱石のような巨石、悪魔の顔(?)と思しき奇岩を見ることができた。
その後、下山してもう一度儀式が行われていた場所に行くと、儀式はまだつづいていた。ただ、終わりに近付いているようで、人々は何かを飲み、笑みを浮かべ、寛いでいる表情が見えた。まるで直会をしているような。
初めて見たマヤの生贄の儀式は、怖さは無かった。儀式はある意味でとても清いものを感じた。このグアテマラに於いて、マヤ・インディアンの人々が今でもマヤの伝統文化を伝承していることを知った。そして、何よりもマヤの儀式が巨石の前で行われていることを、この目で確認することができたことはとても嬉しい。しばらくつづいていた古代遺跡巡りの後、久しぶりの巨石信仰と出会えたことは世界石巡礼冥利に尽きる。
我々は、バスでアンティグアに戻り、マヤの儀式と出会えたことに感謝しつつ直会をしたことは言うまでも無い。
翌18日、観光ポリスの案内でアンティグアの街を見下ろせる十字架の丘に上り、アグア火山を遥拝する。
須田郡司 拝
追伸:今後の予定、明日からエルサルバドル、ニカラグア、コスタリカを目指します。