2009/08/28

チェコ、ボヘミアン・パラダイスの岩石都市群

 8月27日

 チェコ共和国の北西部にある、巨岩の町チェスケーラジに向かった。
ここは、世界ジオパークに登録されている町だ。そういえば、今月23日に中国・泰安市で開催中の世界ジオパークネットワーク事務局会議で、「世界ジオパーク」に、洞爺湖有珠山、糸魚川(新潟県)、島原半島(長崎県)の3地域が日本で初認定されたニュースが流れた。世界ジオパーク(地質公園)とは、国際的に重要な地質、地形などを守るネットワークで、ユネスコが支援しているものだ。ユネスコの世界遺産と比べ、自然災害の教訓を教育や観光に生かす活動を重視している。
 チェスケーラジは、チェコ北部のボヘミア地方のトールノフ周辺に位置し、珪岩質の砂岩層が浸食によって切り離された砂岩の塔や断崖、渓谷などが形成されている地域で、2005年「ボヘミアン・パラダイスの岩石都市群」として世界ジオパークに登録されていた。
 チェコのプラハからバスに乗り1時間40分でチェスケーラジの拠点ト-ルノフへ到着。さらにローカルバスに乗り換え、15分ほどでフルバスカラへたどり着いた。フルバスカラでバスを降りると、そこにはホテル、博物館の城、レストランなどがあり観光客で賑っていた。周りは森に囲まれていて避暑地といった感じがする。
フルバスカラは、ボヘミアン・パラダイスの岩石都市群の中で、最も注目されている巨石群が点在している場所だ。
 私は、さっそく巨岩が林立する森の中に入った。岩には苔が生え、日本の巨石風景に似ている。胎内潜りのような巨岩の隙間を通ると開けた空間に出る。
さらに奥の岩の隙間を行くと、沖縄のセイファ御嶽のような空間があり、そこに光が差して神々しい。
そこから上を見上げると岩の隙間が何かの模様のよう見えた。
辺りは、家族連れからカップルの人々が楽しそうに散策している。いくつかの巨岩には、何か宗教的に利用されているものもあった。

しばらく巨岩巡りをしていると、まるでお地蔵さんのような巨岩や、奇岩が現われた。

展望台のような岩場に上がると高さは50m~90mもの岩の塔が見えた。何て壮大な岩の風景だろう。
岩の上に造られた城。そして、遠くには二つの岩の塔に造られた城も見える。人々は満足しながら岩の風景を見入っていた。

バスの便が少なかったので、帰りはト-ルノフまで歩く事にした。8kmあまりの道のりは、リンゴやプラムの木々にたわわに実が生っていた。途中、薮の中に日本の磐座のような巨石を見つけた。近付くと、まるで祭祀場のような 雰囲気が漂っていた。

「ボヘミアン・パラダイスの岩石都市群」は、森林浴と岩巡りがセットになったユニークで魅力的な場所である。
ここで、人々は森と岩の風景を楽しみながら、身体が元気になってゆく。まさにパラダイスである。

                    チェコ、プラハにて 郡司 拝

2009/08/26

ドイツ、ハーツの魔女達が集う岩

 8月23日

ハルツ登山鉄道には、ブロッケン山に行き多くの旅行者でいっぱいだった。この登山鉄道は、蒸気機関車がいまでも使われていた。旅行者の多くは、この蒸気機関車に乗ることも目的の一つである。

列車は、ゆっくりと森の中をぐんぐんと進む。次第に山を上り始め、1時間40分あまりでブロッケン山に到着する。
山頂には、ロケットのような形をしたレーダー基地と、博物館などの施設が立っていた。
旧東ドイツ時代、ここは 軍の施設だったため立ち入りが禁止されていた。統一ドイツ後、はじめて一般に公開された。登山鉄道の人気も重なり、今ではドイツ国内で最も注目されている観光地になっている。
山頂には、大きな一枚岩がぽつんと置かれている。石には、標高1142mと刻まれていた。
私は、山頂を取り囲んでいる遊歩道を下った。すると、そこには巨石が積まれたような岩場が現れた。
その岩の前には、ドイツ語の案内版には伝説にちなんだ魔女の絵が描かれていた。三人の魔女の姿、二人は箒に乗っている。
 このブロッケン山は、毎年4月30日にドイツじゅうの魔女達がほうきに乗って集まる魔女の集会所とされている。そのことは、ゲーテの「ファウスト」に出てくる饗宴ヴァルプルギスの夜に紹介されている。
 ブロッケン山からヴェルニゲローデに戻り、同じハーツ地方のターレにバスで向かった。
ターレは、魔女伝説の残る山があり、それが石だという。バスは一時間ほどでターレに到着。そこから山の山頂に向かう。山頂へはロープウエイか徒歩は車で行くことができる。
山頂は大きな広場になっていて、駐車場がありレストランやお土産屋があった。この広場は、ヘクセンタンツ広場と呼ばれている。ヘクセンタンツとは、ドイツ語でHexentanzplatzといって、直訳で「魔女が踊る場所」の意味がある。広場の一角に環状列石があった。ここは、魔女が集まって踊ったり騒いだり、悪魔や魔物が集まった場所とされていた。環状列石には、いくつかの魔女と思しき像が置かれ子供たちが石の上で遊んでいた。


ブロッケンの妖怪と呼ばれるブロッケン現象(太陽などの光が背後からさしこみ、影の側にある雲粒や霧粒によって光が錯乱され、見る人の影の周りに、虹と似た光の輪となって現われる大気光学現象)というのがある。
この現象から妖怪や魔女と結びつき、巨石群が魔女伝説と重なったのかもしれない。
ブロッケン山の岩とターレの石が魔女と結びついたのは偶然ではない。キリスト教世界から異端とされる魔女達は、古層の神々(大地母神)が形を変えて現代に甦ったシンボルのようにみえる。

                   ドイツ、ベルリンにて 郡司 拝

2009/08/25

ドイツ、ゲルマン人の岩の聖地エクステルンシュタイネ

8月23日
 ドイツの西ザクセン地方のホルン・バート・マインベルクには、砂岩の奇岩がある。そこは、キリスト教以前からゲルマン人の聖地として信仰されていた岩の聖地といわれている。
 ビーレフェルト駅からホルン・バート・マインベルク行きの時刻とその後ヴェルニゲローデ行きの時刻を尋ねると、駅員は一日切符を購入したほうがいいと進めてくれた。なんと、この一日切符は5人まで一緒に使えてローカル線が乗り放題で37ユーロだというお得なものだ。我々は、さっそく切符を購入してホルン・バート・マインベルクへ向かった。
 二回の乗換え一時間ほどでホルン・バート・マインベルクに到着。そこからエクステルンシュタイネ行きのバスに乗り変え、10分ほどでトイトブルグの森に到着する。辺りは賑やかな音楽が演奏され、踊りを踊っている人で盛り上がっていた。カウボーイハットを被った人が多く、アメリカンポップスのようだった。森の道には大道芸人やミュージシャン、フリーマッケットなどの出店者がいて賑やかだ。
 しばらく森を歩くと、正面に巨大な奇岩が現れた。これが、ゲルマン人の聖地・エクステルンシュタイネかと思い、吸い込まれるように岩と岩の隙間の道を通って反対側に出た。その光景は、岩自身がまるで何かの生き物のように見えた。その威風堂々たる姿に、私は何度もシャッターを押していた。

 ここは、キリスト教以前においては、古代北欧神話エッダにも登場するゲルマン人の英雄神話の聖地でもあった。キリスト教の時代には、聖なる場所として巡礼地となり、岩にはキリスト教のレリーフが彫られている。岩をくりぬいて礼拝堂を造り、洞窟には修道士が住んでいたといわれる。その後、しばらく寂れたが、20世紀、ナチス時代には、地の龍脈(レイ・ライン)の中心地として脚光を浴びたという。
 エクステルンシュタイネの岩に上がると、様々な人々がいた。老若男女、子供から年配者、そして岩上でタロット・カードをするスピリチュアル系の人々など、やはりここはある意味でパワースポットとしての人気もあるのだろう。


それにしても、エクステルンシュタイネには年間約100万人が訪れているという。すごい数である。
この古層の岩の聖地が、人々を魅了して止まない何かがある。


             ドイツ、ヴェルニゲローデにて 郡司 拝

オランダ、子供も戯れるhunebedドルメン

8月21日

アイルランドのダブリンからドイツのデュッセルドルフに飛び、しばらく今後の石巡礼を検討している時、妻はインターネットでオランダ最大のドルメンが近くにあることを見つけてくれた。今回は北欧行きを断念し、急遽、オランダのボルガーにあるドルメンへ向かった。
デュッセルドルフ中央駅から電車で4時間あまりでオランダ北東部のエンメンに到着。バスに乗り換え20分ほどでボルガーの町に着いた。ここは緑豊かな美しい町並みの景観が実に多い。町の案内版を見ると、いくつものドルメンの表示が記されていた。
さっそく、hunebedと呼ばれるドルメンに向かう。このhunebedドルメンは、オランダ最大のドルメンと言われ、今から5000年ほど前の先史時代に造られたものだ。
ドルメンは、町の中心から10分ほど歩いた森の中にあった。その近くにレストランが併設されたhunebed情報センターがあり、そこには書籍からお土産品まで豊富な種類の品々が並んでいた。
 私は、ドルメンルに近付き撮影を試みようとした。しかし、そこには家族連れの人達がいて、なかなか石から離れようとしなかった。テーブル状の石の上には子供たちが乗って遊んでいるではないか。親たちは、石の上に乗っている子供たちを一生懸命カメラに収めている。

この光景を見ていると、撮影するのには困ったが、これほど人々に親しまれているドルメンも珍しいと思った。子供はもちろん、大人までもが童心になって喜んでいるのがわかる。
 その日は、ボルガーの町にあるB&Bに泊まることにし、チェックインをして夕景のドルメンを撮影する。

 翌、早朝のドルメンを見てから我々は自転車を借りて、ボルガーの他のドルメン群を巡ることにした。 途中、雨に降られたがすぐ晴れて、サイクリングはとても快適であった。




森の中、草原の中、巨木に寄り添うドルメンなどを見ながら、この石がどのような役割があったのかと想像する。祭祀、儀式、観測・・・? 妖精や小人が住んでいるような雰囲気もある。 個性的なドルメン群を見ていると、もしかしたら、古代の人々も石と戯れていたのではないだろうか。驚くことに、このボルガー近郊をはじめ、オランダのもならずドイツ側にも数多くのドルメンが点在していることだ。
hunebedドルメンは、森に佇むだけでなく今でも多くの人々と交流をしている。
Hunebed情報センターの看板の絵を見て、「三つの石の影が、親子を現しているね。こんな発想ができるオランダ人はすごい。」そう妻はいった。

巨石文化に対する認識や考え方など、オランダから学ぶべきものがあるように感じる。

                    ドイツ、ヴェルニゲローデにて 郡司 拝

2009/08/20

アイルランド、タラの丘とニューグレンジ

  8月18日

 アイルランドの最終日、我々は首都ダブリンの北西約40km、ボイン川の屈曲部の渓谷にある古墳群を巡る一日ツアーに参加する。ツアーバスの乗ると、世界各国の人々が集まっていた。
 愛想のよいドライバーは、運転しながら観光ガイドを始める。一時間半ほどで、タラの丘に到着。
タラの丘は、ミース州ナヴァンの南12kmにある丘陵で、アイルランドに於ける伝説上の王たちの国が存在していた場所として知られている。丘の頂には、鉄器時代の要塞跡が残り、周囲の長さ約1000mの要塞は、「王の砦」と名づけられ、連結された円形の砦である。

ここは、古代アイルランド王を決めるための重要な聖地である。王座の中心部にはペニスを模したと思われる立石「運命の石」があり、王をこの石の前で王になる即位式が行われた。王が決まった時、この石は叫んだともいう。
近くの古墳の奥の石には、渦巻きが彫られていた。
また、ケルト人がアイルランドに移住した時代には、既にタラの丘は何らかの聖地として認識されていたと考えられている。
次にボイン川近くにあるニューグレンジへ向った。
ニューグレンジは、約5500年前に建造された新石器時代後期の巨大古墳で、ヨーロッパ最大の大きさを持つ。 石には渦巻き模様が刻まれ、一年に一度冬至の日だけ太陽の光が墓室に差し込むように設計されている。 それは、太陽の光が最も弱い日が、やがて復活してゆくための「死と再生」を暗示させるものだといわれる。
 15年ぶりにタラの丘とニューグレンジを訪ねたが、ここに来ると石が持つ古層なる世界と触れ合うことができる。立石、ケルト十字、渦巻き模様・・・。そこには、ケルト人や巨石文化を築いた古代の人々の「石の声」が今でも振動し続けているように思えてならない。
 帰りのバスの中で、あるオーストラリア人女性がマイクを持ち、アイリッシュ音楽を何曲か歌った。すると、まわりの人々も一緒になって口ずさんでいた。アイルランドの音楽は、世界中の人々を和ませる魔法があった。
                 ドイツ、デッセルドルフにて 郡司 拝