2009/07/16

イタリア、地下都市とアラゴン城

 7月13日
 ナポリは、イタリアの中でも雰囲気が違う。フォッジャ駅前からバスでナポリ駅に到着して街を歩いていると黒人の露天商が以上に目立った。靴やバック類を販売しているが、偽ブランド品ばかりだ。
 8年前、しばらくナポリに住んだことがある妻は、ここではポケットに財布を入れて歩くと危険だという。 やや緊張しながら事前に決めていたホテルに行き、チェックインをした。
翌14日、ナポリの地下都市に行く。
 地下都市は、紀元前頃から10世紀頃までギリシャ時代に造られたもので、ナポリの旧市街スパッカ・ナポリの下にある。
 最初、博物館を見学してから地下への入口へ。まるで工事現場のような鉄の階段を下って行くと、ひんやりとした冷気が漂い地下空間に整然とした古代の街並みが現れた。隙間なく積まれたレンガ造りの建物がナポリの町の下に広がっていた。
ある部屋には、石でできた古代の洗濯場もあった。
これら石とレンガの遺物が今から1000年以上前に造られ、それがこのように残っているとは驚きだ。地下都市は、もともと石切り場の跡地の空間を利用し都市を造ったものだという。

 ナポリの町は、ギリシャ時代に「新しい都市」という意味の「ネアポリス」という名が付けられたのが地名の由来だという。
ナポリの地下都市は、重層する石文化が折り重なってできた都市景観である。

その日の午後、フェリーでイスキア島に向かう。
 イスキア島は、紀元前8世紀半ば頃ギリシャ人が植民市ピテクサイを作り、ギリシャ本土やイベリヤ半島を結ぶ地中海の交易の中継地として栄えた島で、今は温泉の出る島として地元ナポリの人がよく訪れる観光地だ。
 フェリーは1時間40分ほどでイスキア島に到着した。ローカルバスでイスキア本島の東に移動する。イスキア島から小島を結ぶ220mの橋を渡ると、岩礁上にそびえ立つ高さ113mの古城が見えた。 これがイスキア島のシンボルでもあるアラゴン城だ。

 入場料を払い、ひんやりとしたトンネルを潜ると小さなエレベーターで城の上まで行くことができる。 城内に入ると、住居から修道院、貯蔵庫、刑務所跡、教会などの施設があり、オリーブ畑まである。住居跡に展示してある現代絵画を見てから小道を歩くととても複雑で迷路のようだった。
 城の上からイスキア島と結ぶ橋を見下ろすと、気持よさそうに海で泳ぐ人々の様子が見える。この猛暑の中、私も海に飛び込みたい心境だった。

 修道院跡は、岩そのものを彫り込んで造ってあり、当時の面影がそのまま伝わってきた。やはりここも岩窟の中を聖なる空間として利用していたのだ。

 この小島は歴史が古く、紀元前474年にシラクーザのジェローネ1世が、ティレニア人と戦争中のクーマ人に援軍を送るためここに要塞を建設したことに遡る。その後、支配者は入れ替わりながら中世にはフランスのアンジュー家が支配し、さらにスペインのアラゴン家の支配を受けた。この城は、アンジュー家の城を1441年にアラゴン家が橋をかけて再建したものだ。 その後、小島には修道院や教会が作られ18世紀頃まで海賊の襲撃を恐れた住民1892世帯が暮らしていたという。
また、城主と結婚したヴィクトリア・コロンナを慕って、ルネッサンスの巨匠ミケランジェロは、城内の塔に長く逗留したという。1809年、イギリス軍の砲撃で城は崩壊し、1823年には終身刑の牢獄に、1851年から政治犯の牢獄として使われ、今は民間で管理しているという。
 アラゴン城は、巨大な岩塊の上に造られた城跡だがそこには修道院から教会があり人々にとっての聖所空間でもあった。 歩いて城を下りると、十字架にくりぬいた岩があり、出口付近の巨大な岩をくりぬいたトンネルに驚く。
イスキア島に戻り、再びアラゴン城を眺めると、実にかっこいい城だとつくづく思う。

イスキア島のアラゴン城は、複雑な歴史を重ねてきたが今では美しい景観の一つとしてナポリの人達に愛されている。


          イタリア、ナポリにて 郡司 拝