2009/07/14

イタリア、伝承する洞窟・マテーラ

 7月12日
 ギリシャ・パトラから出たブルー・ホリゾン号は快適な航行でイタリア・バーリに向かっていた。
朝5時過ぎに目が覚め、外を見ると薄っすら明るくなり始めていた。カメラを持って急いで甲板に出ると東の空からゆっくりと太陽が昇ってきた。
イタリアに入る船上でご来光を拝めるとは、どこか縁起がよい。
船は予定より1時間遅れの9時半に南イタリアのバーリに到着。同じユーロ圏なので出入国手続きも無く、ただのパスポートチェックだけでイタリアに入国。ヴィザなしで入れるのは簡単でよいが、どこか味気ない気もした。
 バーリ駅近くのホテルを決め、さっそくバスでマテーラへ向かった。 マテーラは、洞窟住宅と岩窟教会公園が1993年に世界遺産に登録された場所だ。
 1時間40分あまりのバスの旅でマテーラにやって来ると、辺りは人影も少なく、店はほとんど閉まっていた。イタリアに限らず、ヨーロッパの国々では日曜は、ほとんどの店が休業するのだ。
朝から何も食べていなかったので、ようやくバールを見つけた時はほっとした。サンドウィッチを食べて、さっそく洞窟住宅のある旧市街へ向かった。少し歩くとパスコリ広場に出た。休日の市が立ち、骨董品や古本、パワーストーンなどの露天商が品物を所狭しと並べていた。
 このパスリコ広場の外れから、旧市街の洞窟住宅街がすり鉢状に広がっていた。
何とも珍しい光景だ。さっそく、下に降りて旧市街を歩いてみる。石畳の細い路地は、まるで迷路のように続いていた。所々に見える洞窟住宅は、今も普通に暮らしているものから、ギャラリーやホテル、お土産屋として使われているものがあるが、多くは廃墟になっていた。いくつかの石のトンネルを潜りながら石畳を歩くと、タイムスリップしてしまったような感覚になった。

 ドゥオーモ広場の右手を下りてゆくと渓谷が現れた。これはグラヴィナ渓谷と呼ばれ、石灰岩の浸食によってできたもので渓谷の対面には、自然にできた洞窟がいくつも見えた。

 今から約7000年前、人類はこの地に住み自然にできた洞穴を住居とした。
やがて8世紀~9世紀にかけイスラム勢力から迫害を受けたキリスト教徒達が身を潜めるためにここに大挙して移り住み、最盛期に130もの岩窟教会を造り、岩窟住宅は330を超えた。

 渓谷を眺めると、さらに不思議な光景が目に入った。洞窟住宅群の上に今の新しい住宅群が広がっていたのだ。

また、渓谷の岸壁上に二つの教会が見えた。一つはサン・ピエトロ・カヴァオーソ教会、もう一つが岩上に建つ洞窟教会のマドンナ・デ・イリドス教会だ。洞窟教会の山上には十字架が据えられていた。


マテーラの渓谷には、古代の洞窟群と、旧市街の洞窟住宅群がどこか対照的に見えた。
 第二次世界大戦後の1954年、イタリア政府は、洞窟住居に住む約1万5千人の全住人に対して強制移住をさせ、貴重な文化財の保護に乗り出した。この洞窟住宅に住む貧民を思いやっての行動だったという。
 岩上に建つ洞窟教会は、洞窟の重要性を象徴している。洞窟からやがて石の家と変化はしても、彼らにとって洞窟もまた石と同じ重要性があることは間違いない。
 古代の洞窟、洞窟住宅、そして新しい住宅を同時に見ながら、マテーラの人々は時代を超えて、洞窟を現代に伝承しているのだ。

             イタリア、ナポリにて  郡司 拝