2009/05/05

ルアン・パバーンでの再会

5月2日
標高約1100mのポーンサワンの街からミニバスで6時間、標高約280mのルアン・パバーンにやってくると猛暑といった感じがした。

ラオスの古都ルアン・パバーンはランサン王国(1353-1975)の王都で、古くはムアン・スワといい、その後シェントーンと呼ばれた。カーン川とメコン川の合流地点に位置する緑豊かな町ルアンパバンは、その美しいラオスらしい町並みと、フランス植民地時代のコロニー建築などの歴史的、文化的遺跡保護の観点から、1995年、ユネスコによって世界遺産に指定される。


               プーシーの丘から望む      


                    宿近くの寺院

 我々は宿を決め、シャワー浴びて街中の散歩に出かけた。メイン通りには、お洒落なレストランが立ち並び、観光地といった雰囲気が漂っていた。カーン川沿いで夕日を眺めてから宿に帰ろうとしている時、見覚えある女性がこちらに向かってくるではないか。
その方は、10数年来に知人であるK・サチコさんだった。


                       カーン川

彼女は、最近借りた3階建ての住居から窓の下を歩く、私を見つけ声をかけたが気づかず、追いかけてくれたのだった。それにしても、偶然の再会にとても驚いた。

サチコさんとは10数年前ほど前、フィリピンの映画監督キドラット・タヒミックの縁で飯能の竹寺で出会った。
彼女は、17年前からタイのチェンマイに服飾のスタジオを構え、タイシルクや麻を使ってオリジナルの衣装を造られているデザイナーである。日本のみならず、ヨーロッパやアメリカなどでファッション・ショーをされていて国際的に活躍をされている方だ。
かつて、東京・西荻窪にあった彼女の店「パゴダ」に何度も伺ったことがある。パゴダはサロンのような場所で、色々な方が出入りしていてサチコさんの手料理で御もてなし受けて、様々なジャンルの方々を紹介していただいた。

 半年ほど前に、私は久しぶりに東京でサチコさんにお会いしていた。その時、サチコさんは最近ラオスのルアン・パバーンに3階建ての建物を25年契約で借りたとおっしゃっていた。

私は、世界石巡礼でラオスに来るかどうかはっきり分からなかったので、事前にサチコさんと連絡を取っていなかった。日本とタイ、ラオスを行き来されているサチコさんと、このルアン・パバーンで偶然にも再会できたことはとても嬉しかった。しかも、彼女は翌日、タイのチェンマイに帰る矢先だったのである。

サチコさんが借りたルアン・パバーンの家は、リフォームの最中だったが、中を見せいただく。
1階は、サチコさんの衣服の販売スペース。2階は、茶室とギャラリー、3階は、住居とゲストルーム、そしてバルコニーには日本庭園をアレンジしたいという。日本から畳や襖を取り寄せる手配もしていて、完成は来年初旬頃になるという。サチコさんがこの建物を気に入った理由は、3階のバルコニーからお寺や森、山が見えることだ。

その夜、夕食ご馳走になりながらゆっくりとお話をすることができた。

この世界遺産の街ルアン・パバーンは、小さい街にも関らず全世界から多くの人々がやってくるという。
そんな街で、サチコさんが家を借りたのは、この建物を利用して将来的には日本文化を世界に発信したいからだという。
サチコさんは還暦を過ぎ、今、61歳になる。しかし、出会った10数年前からほとんど変わらないように見える。何かに情熱的に生きる方は、魅力的で若々しいのだと思う。
建物が完成した頃に、ぜひ私達もまた伺いたいと願った。


翌3日早朝の5時半頃ルアン・パバーンの街に出る。
そこには、多くの僧侶達が裸足で街を歩きながら托鉢をしている光景が待っていた。











地元の人々は、蒸しご飯、バナナ、お菓子などをお布施していた。また、ラオス人以外に観光客と思しき西欧人もお布施をしていた。ここでは、観光客用のお布施用品もしっかりと販売しているのだ。

しばらく観察していると、お布施をする人々に混じって子供達が袋や籠をもって座っている。何人かの僧侶は、托鉢で頂いたバナナを子供達の袋や籠の中に入れていた。僧侶達には、貧しい子供達に食べ物を分ける与えるという相互扶助の精神があった。

今後、この世界遺産の街に観光客が増えようとも、この托鉢の光景は残りつづけてゆくことだろう。

                  ルアン・パバーンにて   郡司 拝